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◆駿急作者・鉋木氏架空インタビュー◆
2021年6月某日、駿急作者・鉋木が取材場所に指定したのは、都内の某イタリアンファミレスだった。
――今日はよろしくお願いします。
鉋木「こちらこそ、よろしくお願いします。」
鉋木がドリンクバーから持ってきたのはぶどうジュース。
鉋木「炭酸入りと炭酸なしを混ぜると、ちょうどよく微炭酸になるんですよ。」
至極どうでもいい。というか当たり前である。
――そろそろ、本題に入ってもいいですか。
鉋木「ああ、そうですね。」

静岡に架鉄を
――では改めて、制作している架空鉄道を手短に紹介していただけますか。
鉋木「はい。駿河急行という、静岡県を舞台にした大手私鉄を制作しています。」
――この架空鉄道は、どのような経緯で始められたのですか。
鉋木「駿河急行を作る前に、ある架空鉄道を作っていたんですよ。架空の土地の巨大私鉄を日本国鉄の車両が走るっていう設定でした。まあ、今にして思えば幼稚な作品でした。」
――つまり「架空土地×実在車両」という構図ですね。
鉋木「その通りです。で、その制作にも飽きてきて、次に作る架鉄はその逆、つまり『実在土地×架空車両』がいいなーと思ったんですよ。それで、静岡を舞台に私鉄を引いてみました。」
――静岡を舞台にされたのはどうしてですか。
鉋木「母方の祖母の家が三島にあるんですよ。それで、母親の帰省にくっついて、毎年ほぼ3回は静岡を訪問していました。」
――それで、馴染みがあったんですね。
鉋木「はい。祖母の家に自分用の自転車がありまして、それで三島周辺のいろいろなところに行ったり、あるいは伊豆箱根鉄道だったり東海道線に乗ったりしていました。昔から、三島、あるいは静岡県は好きだったと思います。」
――それはどのような理由でしょうか。
鉋木「私の家って、東京でもかなり真ん中の方にあるんですよ。確かに便利ではあるんですが、人は多いし、周りはコンクリートジャングルだし。一方の三島は、それなりの街ではあるけれども、山の緑は近いし、大きな公園もきれいな川もある。少し自転車で走れば、綺麗な海もある。買い物に苦労はしないし、人も東京ほどは多くない。まあ何より、三島への帰省は年間唯一の旅行みたいなものでしたから、特別な場所、というイメージが付いたのも大きいかとは思いますが。」
――自然への憧れがあったのですね。
鉋木「確かに昔はそうだったかもしれませんが、今はほどよい街がある、ということへの憧れの方が大きいかもしれませんね。ただ、今でも綺麗な川とか海への憧れは強いです。」
――確かに、三島の水はきれいですよね。
鉋木「私は、水のある風景、とでも言うのかな。それが好きなんですよ。三島には大場川とか源兵衛川の他にも、街中にバイカモが生育するレベルの綺麗な水路が普通に流れてるんですよね。それがいい。あと海に関しては、コンクリート護岸のドブみたいな東京湾しかない都民の憧れです。」

駿急制作の始まり
――架空鉄道の舞台を静岡に決めた後は、どのように進めたのですか。
鉋木「私もあんまり覚えてはいませんが、まず引いたのは榛原~三島だったと思います。あとは静浦線とか箱根線。それから車両を描いてみたんです。」
――今よりも小規模ですね。
鉋木「はい。その後空想鉄道で路線を引いているうちに、浜松まで伸ばしたくなりまして、今の駿急の原型になりました。」
――車両は初めどういったものを描いたのですか。
鉋木「5000系です。デザインは現在のものとほとんど変わりません。受験期でしたので、勉強の合間に浮かんだアイデアをノートに描いてみて、『これはかっこいい、これはいける』と思って、本格的なマクロ絵製作に移行しました。」
――もともと絵を描いた経験はあったのですか。
鉋木「ほとんどありません。マクロ絵の描き方は水炭先生のサイト(編集部注:瑞想架連の製作支援ページ)で勉強しました。」
――作品は、どのような形で発表していたのですか。
鉋木「初めはTwitter上で公開していました。ただ、Twitterだと過去の投稿はどんどん流れてしまうし、投稿の修正もできない。やっぱり、メインで作品を上げる場所ではないなと思い始めました。」
――それで「駿河急行ファンサイト」を開設したのですね。
鉋木「はい。JIMDOとかで作ってもよかったんですけど、なんとなく『1から作りたい』という欲があったので、HTMLを勉強してタグ打ちで作りました。」
――Twitterからホームページに移行してよかったことはありますか。
鉋木「まずは、情報を体系的にまとめやすいこと。そして、常に最新の情報だけを表示できること。特に後者に関しては、設定変更が多い私にとっては欠かせない機能です。」

駿急制作の進展
――路線、車両ときて、その後はどのように進展したのですか。
鉋木「まずはダイヤですね。とある本に『ダイヤは鉄道会社の中核商品』という言葉があるのですが、まさにその通りだと思います。ダイヤなしに列車は走れませんから。それに、ダイヤは利用者のニーズや利用形態、あるいは路線の特性なんかに基づいて作られますから、ダイヤがあるとその路線のことがよくわかる。さらに、ダイヤの上に作れる作品も多い。」
――それは、どういったものでしょうか。
鉋木「ダイヤがあると、まずは時刻表が作れます。それに基づいて、発車標だったり、乗り換え経路だったり、あるいは列車の走行音とか車内放送、鉄道が登場する文学作品なんかも、実感的に作れます。まあ、適当に時間を決めても作れることには作れますが、それで満足出来たらダイヤなんて作りません。」
――ダイヤ組みはどのように進められたのですか。
「まずは表計算ソフトで列車の所要時間を算出しました。まあ、細かい条件は無視した概算値にすぎませんが、最高速度や加速度など、最低限の事項は考慮しました。それが終わったら、あとはoudiaに打ち込んでいくだけです。」
――もともと、ダイヤには興味があったのですか。
鉋木「正直殆どありませんでした。なので駿急のダイヤを組む時には、ひたすら他社のダイヤを調べまくりました。最初のころよく参考にしたのは、お隣愛知県の名鉄や近鉄名古屋線です。後にさらに西の方にも視野が広がって、山陽や西鉄もかなり参考にしました。」
――ダイヤと言えば、駿急の最上位種別は「快速」ですよね。これはどうやって決まったのですか。
鉋木「駿急の前に作っていた架鉄が、有料特急がバシバシ走る特急街道的な路線だったんです。その反動で、今度の架鉄は有料特急なしにしよう、ということになりました。『快速』という種別名は、昔、東武鉄道の快速が急行より速いというのを知って珍しいなと思い、そういう会社がもう一つくらいあってもいいだろう、と思ってつけました。確か。」
――ダイヤの他にはどのようなものを作られたのですか。
鉋木「ロゴとか駅名標とか。あとはwebアプリも多く作りましたね。方向幕表示器とか、動く発車標とか。」
――プログラミングも駿急がきっかけで始めたのですか。
鉋木「ほとんどそんな感じですね。実際には、『いきのこれ!社畜ちゃん』の巻末にあったJava scriptのプログラミング教室をやってみたのが最初です。そこで得た知識をベースに、わからないところはグーグル先生に頼りました。田島メンターとかね(笑)。」
――最近ではリアルタイム発車標や運賃検索システムも製作されていますよね。
鉋木「リアルタイム発車標は、駿急をよりリアルに体験できる要素として作りました。それをHPのトップに載せて、一気に読み手をこちらの世界に引き込みたいなと。運賃のほうは、『所要時間がわかるようになったら運賃も知りたいよね』という発想から作りました。乗り換え検索でも、所要時間、乗り換え回数、運賃は欠かせない要素ですからね。」
――リアルタイム発車標や運賃検索システムの製作には、かなり時間がかかったのではないでしょうか。
鉋木「リアルタイム発車標はまあそれなりに苦労しました。それでも、元となるダイヤよりはずっと短い期間でできました。本線系統のダイヤを組むのにかかったのはだいたい半年くらい。実際には白紙撤回を何回もしていますから、もっとかかっていると思います。それに対してリアルタイム発車標は、基本的なシステム設計を含めても1か月くらいでできたと思います。運賃の方も同様に、元データの作成のほうに時間がかかっていますが、ダイヤよりははるかに楽です。検索システムのほうは1日でできました。」
――ユニークなところでは、「駿急少女」のコーナーについてもお聞きしたいです。
鉋木「駿急少女は、『駿急世界の中の人から見た駿急』が見たかったので作りました。もちろん美少女に自分の作品について喋らせたり、補足説明してもらいたかったというのもあります(笑)。」
――つまり、「駿急少女」も駿急をリアルに見せる方法の一つ、ということでしょうか。
鉋木「そうですね。まあ、キャラデザについては実在性ガン無視の性癖てんこ盛りスタイルですが(笑)。」

歴史設定とコロナ
――架鉄製作においては歴史設定を考えるのも一般的になっていますが、こちらについてはどうでしょうか。
鉋木「制作当初から考えたいと思っていました。ただ、私自身歴史には疎いので、『駿河急行』という社名が誕生する1965年くらいより前の歴史は深く考えず、年表が書ければいい、くらいの気持ちで始めました。」
――1965年から先の歴史を重視した、ということでしょうか。
鉋木「架鉄をどこまで作り込むかは作者次第です。歴史設定に関しても、どこまで作るか、どこに前提を置くかは作者の自由だと思っています。」
――「前提を置く」というのはどういうことでしょうか。
鉋木「『東京と大阪を結ぶ私鉄に列車Aが走る』、という事象を例に考えてみましょうか。まず、歴史を全く考えないなら、『東京と大阪を結ぶ私鉄に列車Aが走っている』というのが前提になります。もう少し歴史を掘り下げて列車Aが運行される経緯まで考えたいなら、『東京と大阪を結ぶ私鉄がある』という前提の上に歴史を考えることになります。さらに路線の開業から考えるなら、『東京と大阪を結ぶ私鉄の計画がある』ということが前提になります。人によってはもっと掘り下げて、『Xという人物がいる』という前提からXが鉄道を計画するまでの経緯を考えたり、『Xという事件があった』という前提から経済や社会の変化を考えて鉄道の計画に結びつけたりするわけです。」
――つまり、「どこを起点に歴史を作るか」ということですね。
鉋木「そうです。私の場合の前提は、当初『1965年に駿河急行という会社が存在する』で、その後少し掘り下げて『戦前期に駿急のルーツとなる路線が開業する』というのが今の前提になっています。ただ、最近では『駿急のルーツとなる路線が計画される原因がある』というところまで遡れたらいいな、と考え始めています。」
――駿急のHPをみると、駿急の歴史は2016年で止まっていて、掲載している内容もほぼ全て2016年時点のものになっていますよね。これはどういった意図なのでしょうか。
鉋木「駿急のHPは2018年10月に開設して、今は3年目になります。例えば2018年に『2年後に引退を予定している』と記述していたら、今頃はもう引退しているわけです。もちろんリアルタイムに展開していく架空鉄道も魅力的ですが、私の場合、過去が完全に固まってないうちに現在を追いかけても仕方ない、という結論に至りました。あとは、やっぱりコロナの影響が大きいですね。」
――と、言いますと。
鉋木「コロナが流行り始めてから、テレワークだのソーシャルディスタンスだのという言葉が一般的になりましたし、街ゆく人はマスクをつけるのが当たり前になりました。つまり、時代が大きく動いてるんです。よく、『事件・事故や災害を架空鉄道で扱うのはよろしくない』という意見を耳にしますが、架空鉄道の歴史を作るなら、関東大震災や太平洋戦争をないことにするのは難しいですよね。減便や終電繰り上げをもたらしたコロナも、それと同じくらいの出来事になりつつあると思うんです。」
――架空鉄道の歴史を構築する上で無視できない出来事になりつつある、ということですね。
鉋木「はい。だからこそ、時間を置いてから扱いたいなと考えました。」
――それは、どうしてでしょうか。
鉋木「例えば、架空鉄道の路線が寸断されるレベルの大災害が、現実世界で起こったとします。これに便乗して『○○鉄道は運転を見合わせています』なんていう架空鉄道アカウントのツイートが流れてくることがあります。よく界隈で問題視されることですよね。私もあまり好きではありません。ただ、私はそれからある程度の時間を置いた後で『○○鉄道は災害によって大きな被害を受けた』と記述する分には、問題ないと認識しています。関東大震災や太平洋戦争もその例の一つです。むしろ、地質構造を現実と同じくする架空世界なら、現実で起こった地震を無視する方がおかしい、とさえ思ってしまいます。大事なのは、ある程度時間を置くことです。まあ、実際に災害をどう扱うかは作者の勝手ですが。」
――ところで、なぜ2016年という年が選ばれたのでしょうか。
鉋木「それには『駿急少女』の舞台設定が絡んできます。『駿急少女』をノベルゲーム化するにあたって、一番書きやすいと考えた年代設定が2016年でした。何を隠そう、私が高校生だった年代ですからね。それに合わせて、HPの情報も2016年に統一しました。」

駿急を始めてから変わったこと
――駿急の製作を始めてから、ご自身で変わったことはありますか。
鉋木「まず、どこに行くにも鉄道を利用することが『取材』あるいは『視察』になりました。昔から鉄道に乗るのは好きでしたが、『この路線はこの車両が走ってるな』とか『車窓から山が見えるな』とか、その程度しか考えていませんでした。それが駿急を始めてから『この区間にはこういう流動があるんだな』とか『この区間はこういうダイヤになってるんだな』とか、そういったことに注目するようになりました。架空鉄道の一番の参考資料は実在鉄道ですからね。」
――よく遠方まで視察旅行に行ったりもしていますよね。
鉋木「大学生になってから自由な時間が増えましたし、何よりバイトにより財力を得ましたからね(笑)。駿急の参考になりそうな西日本の大手私鉄、あるいは地方私鉄を中心に視察を進めています。あとは、鉄道の周りの街にも目を向けるようになりましたから、街歩きも好きになりました。」
――今まで視察した中で印象的な鉄道や街はありますか。
鉋木「いくつもありますが、高松のことでんには刺激を受けました。譲渡車だらけの寂れた地方私鉄かと思いきや、本数も十分で、利用者もラッシュ時に2編成併結が必要なくらいいて、ターミナル駅には立派なビルもある、とても活き活きとした鉄道でした。あとは西日本鉄道。駿急と並んで、三大都市圏以外で営業している大手私鉄ですね。駿急と通ずるものがありそうだな、とは思っていたのですが、予想以上に駿急でした(笑)。駿急は特定の私鉄のコピーにならないように、いろいろな私鉄をまんべんなく参考にしているつもりですが、西鉄は特に深く参考にしてしまいました。あとは、長崎の街には圧倒されました。昔から坂のある風景とか高低差は好きですが、長崎は『坂の街Lv.100』みたいな感じで、本当に歩いていて楽しかったです。路面電車もありますしね。あとは、四日市の駅は近鉄とJRの差が」
――ええっと、他には、どのような変化がありましたか。
鉋木「駿急を始めてなかったら、HTMLもillustratorも触れていなかったでしょうね。架鉄製作を通して、いろいろと技術が身に着いたのは良い副産物だったと思います。まあ、どの技術も付け焼き刃ですけどね。あとは、ネットで知り合った同志と実際に会うようになったのも、駿急を始めてからです。」
――オフ会とかでしょうか。
鉋木「そうですね。架空鉄道界隈って、大きすぎず小さすぎず、ちょうどいいくらいの規模なんですよね。だからオフ会に行けば、Twitterでよく見る人にたくさん会える。自分にとってはかなり新鮮な経験でした。」

これからの駿急制作
――これからの駿急制作は、どのように進展していくのでしょうか。
鉋木「まずはノベルゲーム版『駿急少女』の完成ですね。取り掛かったからには何とかやり遂げたいです。実は、先日液タブを買いまして、絵の方も少しずつ練習中です。」
――「駿急少女」はいつごろリリースできそうですか。
鉋木「わかりません(笑)。セルフ2次創作的なものでありながら、ここまでの駿急制作の集大成でもありますから、時間をかけていいものにしたいと思います。」
――他に作ってみたいものはありますか。
鉋木「平日ダイヤは完成しましたから、そう遠くないうちに休日ダイヤも作らないといけませんね。さっき述べた通り、歴史ももう少し突き詰めて公開したいところです。あとは、駿急世界の風景は引き続きその解像度を上げていきたいと思っています。鉄道風景のイラストとかね。『駿急少女』のような『駿急世界の中の人から見た駿急』もどんどん書いていきたいですね。昔の駿急を知るおじいちゃんとかにも喋らせてみたい。」
――最後に、あなたにとって架空鉄道とはどのようなものでしょうか。
鉋木「趣味であり、存在理由であり、自慰行為です。」
――ありがとうございました。
鉋木「こちらこそ、ありがとうございました。」

駿急作者・鉋木への取材が終わったのは、午後4時を回ったころだった。今から新幹線と駿急を乗り継げば、7時前には榛原まで帰れるだろうか。

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